白状するが、1日の終わりのリラックスタイムにYoutubeの占いチャンネルをよく見る。占いを信じているわけではないが、占い師の話はかなりスピリチュアルで面白いからだ。
でもたまに恋愛リーディングで「その人はあなたしかいません」「あなただけを愛しています」「あなたのためならなんでも」なんて言うのを聞いていると、小恥ずかしくなってチャンネルを変える。
最近は、あからさまに嘘に見えるファンタジーには興味がない。無駄なことに時間を使いたくないからだ。
でも活き活きと楽しく生きるにはファンタジーは必要だ。もっとリアリスティックな感動が欲しい。例えば、なんの魅力も感じなかったものの美しさを発見するとか、絶対分かり合えないと思っていた人に共感するとか。
後の失望など考えずに目の前のファンタジーに飛び込んでいく若い人が、妙に美しく見えたりもする。
意識していないだけで、誰もがファンタジー を持っている。初めてのこと、初めての人に出会うとき、私たちは、どんな体験ができるかな、と妄想する。湧き出ては消えていく貴重な時を、掘り起こしてみるのも楽しい。
著作者:kjpargeter/出典:Freepik
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。