美大時代も、30代で執筆を学んだ時も、芸術性と人間性は違う、ということは、よく先生に指摘されていた。
人間性と芸術を結びつけて考えるようになったのは、多感な高校時代からで、作品制作の全てがそこから起因していたので、人間性と切り離して創作するなんて想像できなかったし、そのような仕事をする人も理解できなかった。それくらい私は真面目な学生だった(笑)
ここでいう「人間性」とは、道徳観のことだろう。
人としての道理、「こうありたい」「あってはいけない」という考え方は、人間性を縛ることがある。人間性とはもっと広義なもので、快楽とか暴力とか(社会的に)あってはいけないが内在しているものも含まれる。
道徳は説教じみていて面白くない。もっと面白いものがあるでしょ、皆そういうものを見たがっているのだから、それを出していかないと、という意味だったのだろう。
ジャン=バプティスト・ルニョー 「ヴィーナスとキューピッド」
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。