最近、いろんなところで、何かが終わっていく気がする。
そこにいつもいると思っていた人がいなくなったり、違う人になっていたり。満ち足りていたものが急激に欠けていくような。
こういう感覚を持ったのは、35歳の時以来だ。
頑張っていたデザインの仕事に限界を感じて、実家の親が老いていくことに危機感を感じて、出産を決めたのがこの時期だった。何か新しいもので世界を回していかないと干からびてしまいそうだった。
危機感はパワーだ。私にもまだその力があるのだ。
こういう時って本当に、大きな変化が起きてガラッと変わるのだろうな。そういえば天空では、冥王星が水瓶座に入ったとか。
デザイン・フェスタまで2ヶ月を切ったので、準備を始めている。
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。