今日Twitterについて娘と話していた。私のアカウントのフォロワーが増えないので、もうやめようかなあという話をしたら、「ママのアカウント悪くないわよ、止めることないわよ」と、哀れむような、慰めるような顔で言われた。軽い世間話のつもりだったが、フォロワーが少ないことはそんなに残念なことなのか、とちょっと意識した。
正直、フォロワー数、いいね数は、あまり意識していなかった。だって、ちょっと目を引くと反射的に「いいね」することもあるし、よくチェックするアカウントにいいねもフォローもしないこともある。
普段私の投稿に全然反応しない人が私の近況についてよく知っていたり、私も何か必要な時にふと思い出して連絡したり仕事をお願いしたりする。いいね が少ないから見られていないというわけではないのだ。
しかしながら、今の時代「フォロワー数=承認」という認識を持っている人は多いのかな。やっぱりSNS時代だなと思う。承認の形は時代によって変わっていくのかもしれない。
フォロワーを増やすために、積極的に他のアカウントに営業廻りをする気はないけど、このご時世、縁が全てだ。私に興味があってアカウントを見に来た人に、ちゃんと自分のことを伝えられるようコンテンツを充実させておく必要はあるかなと思う。
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岡本太郎といえば、「芸術は爆発だ」の言葉で有名だ。鮮やかで毒々しい立体や平面作品が印象的だが、本当に人間の生命力とは何かを深く見つめている人だなと思った。
昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。