日本で個展活動を6年もやっていないと、ギャラリー事情もかなり変わっている。
以前はポートフォリオを持っていけば積極的に勧誘されたものだが、今はメールの返信もしないところも多い。このご時世、絵なんて簡単に売れない、という共通意識が業界にあるようで、先方も利益の望めそうな作家でない限り会おうとしない。
「ギャラリー街」のブランドもあった銀座だが、暇つぶしに画廊巡りをする老人も多く、作家がギャラリーに高い賃料を払っても、売り上げにはなかなかつながらない。そのような客の長話に疲れた若い作家が、銀座圏外のギャラリーに逃げるという現象も起きているようだ。
最近は格安のカフェギャラリーやレストランギャラリーが増えているのは興味深い。日本の経済自体が低迷しているので、ギャラリー賃料が高いと作家も活動していけないから、自然な流れだといえる。アートと経済は密接に関係しているのだ。
カフェギャラリーで作品が売れたらコミッションフィーが発生するが、作家とギャラリーとの信頼関係がより必須になっていることも見て取れた。
そういえばマイアミにも、カフェギャラリーが多かったな。飲み食いしながらアートを眺めるというのは向こうでは日常的らしい。
今やアートはわざわざ美術館や画廊で見るものではなく、積極的に生活に入っていかないと、とても生き残れないということだろう。
銀座の画廊は区画整理のための立ち退き要請があったり、業績不振で閉廊するところも多く、生き残りに必死だ。何も考えずに、ただ仲間と共にアートを楽しんだ頃が懐かしい。でもそんな悠々閑閑としたことは言っていられない。
今、日本のアートマーケットの主流になっているのは、古くから愛されている美人画、親しみやすいフワフワ系のイラスト、ビビッドなポップアートあたりだろうか。それは日本人である私たちの辿ってきた歴史と深く関係しているのだろう。だからって安易にレッドオーシャンに飛び込むような、浅はかなことはしないけど。
デザフェスでも感じたが、今の若い世代は、私たちの世代よりもアートが身近にある。今はインターネットで、世界中のアートやカルチャーに触れる機会も多いからか、まるで呼吸をするかのように感じたり作ったりし、アートを自身のアイコンとして活用展開し、知名度を上げる作家もいる。誰もが自己主張できるSNS時代ならではの売り方だ。そんな彼らには、どことなく浮遊感があり、確固たる自分の軸を探して彷徨っているかのようにも見えた。
雑誌のインタビューなどを読みあっさってみても、皆この激動の時代を生きるのに必死だ。有名になった人もそうでない人も迷っている。自分の考えを発信していかないと埋もれてしまう焦燥感があるのかもしれない。でも皆が納得する答えというのは、なかなか見ない。まあね、いろんな人がいるから。10年前よりもその傾向は甚だしいかな。色々な人が、より声を大きくして、言いたいこと言っている。私たちはそれを聞いて、共感したり気づきを得たり….それだけだ。
でも世界的な舞台で生き抜いてきた人の主張は説得力があり私に気づきを与える。現状打破の鍵を与えてくれるかもしれない。
今日伺ったギャラリーでデジタルアートにお金がかかることを話したら、オーナーさんに「それならデジタルやめて手で描きなさいよ!」と言われたのが、とても爽やかに聞こえた。そうだな。手描きでもいいかも。あまりきれいに描けないかもしれないけど、絵の具やマチエルの質感が素直に出るだろう。それもいいかもな。
そもそもデジタル、とか、エモーションとかって、今までのようにこだわっていく必要はあるのだろうか、と一度考えてみて、やっていることは間違っていない、と思った。少なくともエモーションは、昭和時代の根っこだから(私の根っこかもしれないけど)。スピリチュアルであること、感性を研ぎ澄ませ人の心を感じることができるのは、今の若い世代にはない強みだと私は思っている。
ただもう一歩、もっとビビッドに、人の印象に残れないかな。
完成度を上げる過程で描き込む作業が、固定観念を埋め込んでいる気がする。もう一歩、時代に近づくために、理屈を捉えず、もっと大きな空気感をとらえるよう意識をシフトしていきたい。
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