20代の頃だったかな。その時付き合いのあったアーティストの友人に、アーティストになるために、どうすればいいのかと聞いたことがある。当時私はまだ作品を作っていなくて、周りの友人がいろいろな手を使って権力者に売り込んでいることについて意見を聞きたかった。すると彼は「世の中に出られない人の方が多いから、どんな手を使ったって出てしまえばいい」と冷酷な顔でいった。
彼は名前が知られている書道家で教室も運営していた。たくさんの教え子に書の道を説いている人だったが、私の前になると、たくさん愚痴を零す人だった。どうやら私には、彼が人に見せられない部分を見せられる雰囲気があったのかもしれない。でも、そういう話を聞くたび、そんなにストレスたまるなら、カッコつけるのやめればいいでしょ、といつも思っていた。
俺はかっこいいけど、影も強いのさ…わかってくれよ、と言いたかったのかもしれないけど、光のイメージが強ければ強いほど、影を知ると失望する。どんなに優れた芸術家でも、立派な作品を作っていても、自分に酔っては疲れているような人を、かっこいいと思えなかった。
SNS上でも自分を等身大以上に見せてフォロワー数を稼ぐ人をよく見かけるけど、彼らが本当はどういう想いを抱えて生活をしているか、だまされている人はどれくらいいるのかを思うと、SNSの使い方を再考せずにいられない。
一時期、私のfacebookのアカウントのフォロワーが1ヶ月で3,000人以上増えたことがあった。世界中から友達リクエストが殺到したその時は、自分が急に凄い人になったような気がした(実際はそんなことはないのだけど)。人から見られる、注目されるということは、現実感を見失うような、まやかし的なところはある。
等身大の自分を超えて注目を集めたい人の行動力と心の渇きを見ると、詐欺にあっているような感覚だ。等身大でいたら爆発感のある作品は作れないのだけど。まるで自分の鏡を見るかのように冷静に観察してしまう。だから何万人もフォロワーがいるインフルエンサーに夢中になるとか傾倒するいうことができない。
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