fbpx

名古屋の思い出。

FBで小学校4〜5年の頃に住んでいた名古屋のことが話題に上がったので、思わずGoogle Earthで調べてしまった。
私が住んでいたのは名古屋市千種区下方町5丁目。福岡から越してきたのは1979年の4月だった。

田圃畔道の福岡からアスファルトの住宅街に来た時は、異郷に来たなあという気がした。サンルーム付きの広めの一軒家(平屋)の周りをぐるっと細長い庭がついていて、当時飼っていた犬も寛げると安心した。

名古屋は思ったより都会だった。広めの道路を10分ほど歩くと小学校についた。通学路には古本屋さんと、一水会の画家の屋敷があり、間もなく私はその先生に絵を習いに行くことになる。

道路脇にアスファルトにはたんぽぽが掻い潜って咲いていた。私はちょっと変わっている子供だったので、学校生活は波乱万丈だったが、友達とふざけながら帰った通学路は笑いとドラマが万歳だった。

通学途中にある古本屋には、漫画がずらりとあり、私は少年少女漫画から大人が読むようなものまでかたっぱしから立ち読みした。漫画の世界はエキサイティングだった。ハードボイルドからコメディ、ラブストーリー、SFファンタジー、登場人物になり切って読んだ。当時はやっていた「キャンディ・キャンディ」「うわさの姫子」なども古本屋だと安く買えるので、お小遣いを貯めて買い(親に買ってもらったものもあり)家で何度も読み込んだ。私の頭の中は少女漫画のほのぼのとした世界が広がっていて、幸せだった。

下方町からバス通りに出て、南へ下ると、千種区の児童館があり、夏は友達や弟と一緒にその敷地内の市営プール(「振甫プール」と呼んでいた)へ泳ぎに行った。えらく水の冷たいプールだったが、自分の背丈より水深のある水にもぐることはスリリングで楽しかった。今はそのプールは廃止となり水道局が建設されている。

それからさらに南へ行くと姫池通に出る。名前は忘れたが芝生の広がった公園のようなところがあり、私は父と弟と犬と一緒に、そこで思いきり走り回った。青々とした芝生に抱かれることは、この上ない安息であり充足だった。芝生に寝転がると青い空が広がり、世界中と繋がれる気がした。

休日は家族でお弁当を持って矢田川河川敷へ出かけた。犬と川沿いを走り、疲れたらみんなでランチにした。川沿いにはアザミやたんぽぽがたくさん咲いていて、犬ものびのびと日の光を浴びてご満悦だった。

下方町は子供が多く、学校から帰宅すると、家の前の道路でよくドッチボールをして遊んだ。同じ歳の男の子とのボールのぶつけ合いは爽快だったが、非力な私はぶつけられて痛い目に遭うことが多かった。しかし徒党くんで遊んでいると、男も女もなく皆つながっていた。

名古屋には1年半しかいなかったけど、学んで遊んで、擦ったもんだもあり、ドラマチックな日々だった。1979年10月に横浜へ転校することになった時は、とても寂しく悲しかった。いつか大人になったら、この土地に再び来たいと思っていたけど、行く機会もなく、月日が過ぎてしまった。

上の写真は、小学4年の頃、家族旅行へ行った時のもの。向かって左から父、弟、私。下方町の写真がなかったので残念。


京都へ旅行に行った時の写真。左から母、弟、私。


言葉とアートで人生をブレイクスルーするフリーランス画家 佐藤智美」メルマガ登録はこちら

【TOMOMI SATOS ART WORKS】https://www.ts-artworks.com
【TOMOMI SATOS ART】https://artworks2017.thebase.in
【TOMOMI SATOS ART BLOG】https://tomomiart.tokyo

スポンサーリンク
最新情報をチェックしよう!
>言葉とアートで人生をブレイクスルーする フリーランス画家 佐藤智美

言葉とアートで人生をブレイクスルーする フリーランス画家 佐藤智美

幸福と不幸が簡単に裏返る時代に、
どのような視点に立てば
快適に生きられるのかを探求しています。

決して消されない私たちの「道標」を一緒に探してみませんか?

CTR IMG
Verified by MonsterInsights