相変わらずだが、子供を産むか産まないかの記事をネット上でよく見かける。少子化が進む中、産みたくても産めない女性も多いが、産まない選択をする女性も多いらしい。それは前回の記事にも書いたが、従来の「女の幸せ」という概念が薄まってきているのかなとも思う。
私が結婚したのは27歳、出産は37歳だった。その間は子供を産む産まないかはもとより、仕事もお金も不明瞭だった。
元から子供が欲しかったわけではない。ただ私自身がしっかりと根を張れる基盤が欲しかった。そんな気持ちを理解してくれた夫と一緒に住み始め、好きなように仕事をしていくうちに、自分の基盤への欲求がさらに強くなった。
基盤ってなんなのか。それは私と、過去と未来、社会を繋げる場所だと思う。出産したときに、今まで塞がっていた道が全て開かれた気がした。特に私にダメ出しばかりしていた母には、ようやく批判されずに済むと思った。
その後私は子育てを介して母との距離が近くなった。しかし、不満や愚痴を聞いてもらっているうちに、少女の頃嫌だった母に私が似てきていることに気づかなかった。娘が中学の頃に大きな問題が起きて、やっと自身の間違いに気づき、道を引き返した。
出産を選んだことは後悔していない。なぜなら当時私は、本当に必要なものを選び取ることができたから。
でもこの経験で気づいたことは、恋愛、結婚、出産、子育てという、従来の「女の幸せ」とは、女の欲望そのものだったのではということだ。
1日家にいて家族の世話をしていると、家族が自分のものになったと錯覚してしまう。それまでの人生で、私がいかに感覚的な充足を得られていなったか、「私がみんなの世話をしてるんだから、もっと私を愛して!!」という気持ちが、どんどん増幅してくる。
夫も子供も、私のものではない。今持っている家もお金も、いつまでもあるものでもない。子供はいつか自立して人生を歩んでいくし、夫はいつまでも妻を恋人のようには扱わない。支えてくれた母は老い、共感しあった人たちも状況が変われば離れていく。妻で母で娘だった女は、いずれ一人になり、自分自身と、その人生に立ち返る。
愛はあってないようなもの。もっと言えば、空気のように形を変えていくものだ。それらを享受して幸せを育んでいくスキルは、誰もが人生をかけて育てていかなくてはならない。そして最後には、全ての経験に責任を持って死んでいくのだ。
子供を産まないのは社会的に危機であるが、女性が心理的にも経済的にも自立しているなら、子供はいらないと思うのも、わからないでもない。
ましてや今、子供を持つ方が心理的にも経済的にも負担が大きいし、産みたくないなら無理に産まなくていいと思う。
子供がいなくても、充実した人生を送ることはできる。自分自身をよく知っていれば、充足の方法はいくらでも見つけられる。結婚しなくても、出産しなくても、女性として幸せな人生を送るのは可能だ。
子供が多くて不幸せな人が多い社会より、子供がいなくても幸福な人が多い社会の方が結果的には豊かになるのではないか?
人生経験として不要なものは一つもない。私は今、一段階ステージを終えて、20年前に断念した道を再び歩き出そうとしている。当時と違うのは、自分の感情に自信を持てること、私が私であるという明確な意思を持って、最もしたいことに強く歩めるようになったのは、まさに、ここ20年の人生経験で自分の基盤がしっかりできたからだと思う。
絵:ヨハン・ヘオルフ・ファン・カスペル 「HAMERの自転車」
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