横浜そごう美術館では見られなかった、三岸節子が亡くなる前年に描き上げた大作。いつかNHKで放映された特集番組で見た。
「もっともっと深く掘り下げて、根元の自己をつかみだしてもっと根の深い作品を描きたい。広野の一本の大木のように何百年も生き続け生命力が得たい」と語っていた三岸節子の最後の作品は満開の桜だ。
私はこの絵の実物をまだ見たことがないけれど、満開に咲いた桜を、晩年の三岸節子がどう捉えたのかを見た気がして、なんだか興奮した。長いこと芽吹く時を待っていた命の喜びが、爆発する様に咲き乱れたのを感じたからだ。
私は桜が好きだ。毎年春になると、家族と共に桜の木下で弁当を広げるのを楽しみにしている。頭上に広がる桜の花弁の華やかさと優しさは、清々しい自然の美に誘ってくれる。
桜が美しいのは、どこか儚げだからだ。3月であれば、まだ風の冷たい日もある。曇り空に溶け入りそうな薄桃色を見ると、しんと心が澄んでいく。それと同時に、ああ、私が死んでいく時、こんな風に空に溶け入るようにあの世へ去っていくのかなあ、なんて、女の命の儚さを思ったりする。
女が歳を重ねるとは、それだけ愛を体験することだ。深い愛、重い感情を知れば知るほど、自分の翼で自由に飛ぶことを忘れていき、散った桜の花びらが川面に運ばれるように、大きな流れに身を任せていく。それが幸せなのか不幸なのかは人それぞれだ。
夫との死別、恋人との別れ、男性中心の社会との軋轢に耐えながら、絵を描き続けてきた三岸節子の目指したものは、どんな困難にあっても、揺るがない美を誇る桜のような自己を確立することだったのではないだろうか。
桜が豪華に咲き誇れるのは、それを支える太い根幹があるからだ。歳を重ねて、この根幹を育てていけたらいいなと思う。
三岸節子 さいた さいた さくらがさいた 1998
About TOMOMI SATO〜人生開拓アーティスト佐藤智美 プロフィール
【TOMOMI SATOS ART WORKS】https://www.ts-artworks.com
【TOMOMI SATOS ART SHOP】https://artworks2017.thebase.in
【TOMOMI SATOS ART BLOG】https://tomomiart.tokyo
【GOOD DAY! GOOD LIFE!】https://lifeupdate.xyz
昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。