群衆の休日の絵を探していたら、この絵を見つけた。日曜日の午後、湖畔に寛ぐ人たち。穏やかで暖かい点描。平和でいいな。
久しぶりに病院へ行った。連休明けだったので人がたくさんいた。数十分待って診察室に呼ばれ、老年の医師と対面した。医師は笑顔で、ゆっくりした口調で私に話しかけ、容態を聞いて、最後にねぎらいの言葉をかけて診察を終えた。優しい笑顔が印象的だった。
医師はコロナ禍で家にとじこもり鬱になった人をたくさん見ているのだろう。私がそうならないように気遣いをしたのかもしれない。
ふと今まで会ってきた、笑顔の人を思い出した。きついことを言われて傷ついた人をちゃんと見ていて、優しい言葉をかけてくれる人。そういう人のおかげで、コミュニティは潤滑に回っている。
今は外出制限で遠方の家族や友人に会うこともできない。そのために心の安らぎを得られない人は多いかもしれないけど、周りの人にちょっとした気遣いをすれば空気が和む。
食事の後にお茶を楽しんだり、昨日見たテレビの話をしたり、そんなふうにして得られる時間はとても安らぎになる。一人一人が小さな声がけを周囲にすることができれば、コロナ禍の不安なんて吹き飛ばせるんだろうな。
ジョルジュ・スーラ グランド・ジャット島の日曜日の午後 1884-1886
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ジョルジュ
昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。