Categories: 心理学生き方

ダブルバインド

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父がホスピスに転院ことになった。母も弟も、ここ1〜2年間の懸命の介護の甲斐もなく父の病状が悪化して、心身ともに疲弊しているようだった。

父は真面目で自他ともに厳しい人だった。大企業の企業戦士として懸命に働いて信頼と財を得た。大企業には給料を得るためにずるく居座る社畜も多い中、誠実な父は自分をすり減らす場面も多くあっただろう。その苦労が積み重なったのか、退職後にパーキンソン病を発症した。いろいろ手は尽くしたが末期段階にいるらしい。

母の話を聞いて、いたたまれなくなり、なんとか元気になってもらおうと明るい話題に切り替えた。今やっているアフリエイトサイトでたくさんのアクセスがあることを言ったら、「そうよ、誰もがわかる一般的なものじゃないとダメなのよ」と言われた。
「一般」という言葉に、なんだか自分を否定されたような気がして、思わず「購読者の中高年層は健康に興味があるから、この記事が喜ばれている」と付け加えた。すると、母はめんどくさそうに、「そうよ30〜40代の人はちょっと太ってきて健康なんかに興味があるからターゲット設定をして…しっかりやんなさいよ、じゃあね」というと逃げるように電話を切った。


いつもの諦観的な感情が訪れる。私は母に「頑張れ」と常に言われてきた。でも、いざ結果を出すと、また次の目標を掲げられ、これまでの努力を讃えてはもらえない。いくら頑張っても認めらないこの家は、私が「否定される場所」となり、落ち着くことがなかった。
それなのに、私は母の元気がないと、母を喜ばそうとして、頑張っていることをアピールしてしまう。そしてけなされて傷つく。いつも繰り返しているゲームだった。

「頑張る」いうこと、それは、地道な鍛錬による熟練の先に、精神性の向上やアイデアの飛躍にたどり着くことだ。だけど「一般的」にこだわる母は、その飛躍を理解できないので認めることができない。あくまでも一般的に、「理解できる」レベルでなければダメなのだ。
では、家族を頑張らせて、何を求めているのかというと、「誰もが羨むような特別な功績」だ。そうでなければ結果を出しても、がっかりされるだけなのである。
「一般」でい続けようとすると、「優れる」ことはできない。しかし母は「一般的」を求めながら「優れたもの」でなければ認めない。私の人生で、このダブルバインドが、ずっと続いてきたのだ。


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Tomomi Sato

東京在住のアーティスト。理解しがたいものを理解し受け入れるために書いています。自由でスピリチュアルな風の時代に、私の気づきがお役に立てればと思います。

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