私のサイトに来る人は、大多数が美術に詳しい人なんだけど、もう少し一般の人に近くなれるといいなと思って、メールマガジンの発行を考えている。主に私の作品と、制作を通して思ったこと考えたことを文章にして連載する予定。
でも言葉って難しい。具体的にすることで誤解されることもあるし、私が伝えたいことがちゃんと書けているか、いろんな方向から検証している。
これは集中力のいる作業なのでとても疲れるのだけど、文章化すると、私の中でボケていたことがはっきりしてくるんだよな….
活動量はそれほど多くないが、夜な夜な「執筆→検証」を繰り返していると神経を消耗する。体の隅々まで栄養が行き渡っているのだろうか、栄養をとってもすぐ体に力が入らなくなる。
1〜2年前までは実家に電話しては「疲れた〜」と愚痴っていた。すると「大変ね〜」と母から返ってきて、ほっとしたもんだったけど、振り返ると平和でお気楽な日々に苦笑してしまう。
1年前から父のパーキンソン病が悪化し実家では介護が激化して、私も娘の受験、夫の交通事故など、自分で乗り越えなければならない困難にあってからは、軽々と愚痴が言えなくなった。
どんなに寄り添ってもらっても、自分で乗り越えなくてはならない局面が人生にはあるのだ。それに気づかないで、真の繋がりの大切さを知ることができるのだろうか。
母も、長年頼りにしてきた父がいなくなる悲しみは相当深いだろうし、こればっかりは誰も身代わりにはなれない。他愛もない私の愚痴を聞くのに労力を使わせるのは申し訳なかった。
逆に今後は、弱くなった人を支える立場になるんだから、しっかりと心して生きないとなあ〜と思う。
About TOMOMI SATO〜人生開拓アーティスト佐藤智美 プロフィール
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。