どのように「最後」を迎えるか。

隣に一人で住んでいた高齢の男性 Nさんが亡くなった。90歳だった。老衰で自然に息を引きとったという。
少し前までは、エレベーターの中でよくケアサービスの人と一緒になったけど、最近見なかった。テレビの音も聞こえなくて、もしかしたら、という気はしていた。
でも、ご家族から報告を聞いた時、私は不思議と静かな気持ちだった。ああ、無事に天国へ行けたんだなあって。

Nさんはとても気丈な男性だった。ふらつく足を注意深く動かして、スーパーで買い物をする姿を何度も見かけた。マンションのエレベーターが点検で使えない時、自宅の12階まで荷物を持って上がろうとするNさんに「手伝いましょうか」と声をかけると、いつも断られた。
歳をとって家族に必死で頼ろうとする高齢者が多い中、最後まで自分を貫いて人生を完遂しようとするNさんには敬意を感じていた。

6〜7年前に奥様をなくされてから、夜中に徘徊したりして、ご家族や管理組合の人に連絡したこともあり、老人の一人暮らしって大変だなあと思っていた。でもご家族は「最後まで一人でいたい」というNさんを尊重していたという。


死。それは誰にでも、訪れる。
私には、どんな死が待っているのだろう。

今、私はエネルギーが満ち足りて、やってみたい事は尽きない。しかし最近は視力の低下、腰の痛み、胃腸の不調が出てきた。一年前と同じことをしているのに、同じようにはいかない。夢の実現、日常の雑事。そして将来、使い過ぎた部分が症状となって現れるだろう。

命を消費することに、私は満足できているだろうか。日々それを検証している。
小さな欲望はシャボン玉のように現れては消え、その中で、未来への布石となるものを選んで投資する。

独立独歩であろうとした。人間というものをなかなか信じられなくて、人生の決定権を他者に委ねたくなかった。今いる地点も、そのような自分に導かれてきたと思う。そして、どうしても手に入らないものにも出会った。

人と繋がりましょう、心を分かち合いましょう、安心感を得ましょう、というキャッチコピーがやたら目につく。それこそが人生の幸せです、というように。寂しくて、とにかく自分を受け入れて欲しい人で、この世は溢れかえっている。

安定した給料、他人の評価、誰にでも優しい人、守られたコミュニティは、昭和の遺物だ。この中で安穏としている人たちを見ると、優しさなんて全部噓ではないかと思う。人の欲望が爆発し目的に向かって激しくスパークする瞬間を知っているのだろうか。持て余したエネルギーを腐らせたくなかったので、即席で得られる安心感を諦めた。すると、私の中心で太い芯ができて、安定するのを感じた。
安心と安定は違うんだな、とこの時、初めて意識した。

自己表現の方法と人との繋がり方は多種多様で、この多様性が世界を作っている。巨大な地図の中で生きている感じ。それぞれの思考や感情、文化の流れを感じると世界が鮮やかに立体的に見えてくる。
私の持っているもの、手に入らないものを確認すると、立ち位置が決まり、どのようにエネルギーを使って、誰とつながるか、設計図ができる。もう闇雲ではないし、不安でもない。未来は予測できないが、どんな結末でも後悔しない覚悟をする。

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