一時期、海外で仕事をしたいと思って、英語を積極的に学んでいたが、当時よりも今の方が英語が理解できている。日常的にもSNSとかで英語がしょっちゅう流れてくるので耳が慣れてきたのかな。
日本は、この上なく良い国だと思っている。繊細だし思いやりに溢れているし、わざわざ海外に出て行かなくても、この国で満足している。….というか、海外に行きたいと思っていた当時よりも人の目を気にしなくなったので、日本にいることが苦ではなくなったのかもしれない。
「風の時代」というキャッチコピーに煽られてグローバルに動こうとする人をよく見かける。
気になるのは、自分の国が好きでないので外国へ出ていこうとしていることだ。
私たちが大切にしてきたものは昔から変わらない。それらを見つめ直すことができないで、なぜ他の国の価値観を認めることができるのか。
今一度、地に足をつけよう。
著作者:rawpixel.com/出典:Freepik
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。