とある画家さんの「絵がバンバン売れる方法」という動画を見ていた。
収入の主軸がオンライン教室で、生徒さんから作品購入があったり絵の依頼があったりということで売上を立てているらしい。
そのやり方で成功した人も紹介されていて「こんな私でも…」という話を聞いていると、ひと昔前に流行っていた、「インターネットで年商○億稼ぐ」を謳い文句にした商法を思い出した。あの人たちはその後どうなったのだろう。
確かにインターネットが普及して今までできなかったことができるようになった。でも私はこういう人たちの絵を買いたいと思わない。一般に受けするような、飾りやすい絵ではあるけれど、魅力を感じない。でもバンバン売れるようにすると、そういうふうになるんだろうな。
私は頑固なのかもしれない。でも自分の感覚しか信じられない。世の中には不条理があり、障害となって立ちはだかるけれど、そんな中でも自分の軸は失わずに、社会との接点を探ることだ。
とりあえず、今あるアイデアを全て形にしよう。近いうちに個展をしたい。目の前のものから片付けよう。
画家が絵を描く時に拘っていることと、買い手が絵を買う時に考えていることには、多少ズレがある。
画家が絵に込める想いがストレートに伝わることもあるが、ほとんどの場合は、この絵の色が好き、とか構図が好き、とか、部屋に合いそう、という理由で買っている。
それでもいいんじゃないかなあ。喜ばれているなら。制作側はどうしても自分の思いに囚われがちだけど、何事も、推しつけは良くないよね。
その画家のファンで、毎回買ってくれるお客さんでない限りは、「買いたい絵」のイメージがあらかじめある場合が多い。例えば、結婚出産、独立開業、新築祝、どこに飾るか、誰に贈るか、とか。
自分の持ち味に、その部分を加味して制作するくらいの柔軟性があってもいいよね。
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ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。
お宝鑑定団で初めて鴨居玲という画家を知った。ゴッホと同じ自画像作家として有名だが、幽霊のようなピエロのような自画像を見ていたら、目を背けていたものにまざまざ向き合わされたようだった。