こんな夢を見た。
ギャラリーでセミナーを聴いている。そんなに広くない空間だ。数人の客がいて、壁には額装された絵が飾られていた。
隣の席にいた知り合いのアーティストが、額装された絵を手に取り、私に言った。
「この絵の枠に隠れた部分がかわいそうだよね。この部分、見えないでしょ」
彼は世間では名の知れたアーティストだった。思わぬ言葉に、私は少し驚いて、こう返す。
「その隠れた部分が、なぜそんなに大事なんですか?」
彼は気分を害したようで、黙り込んでしまった。もっと良い言葉を返せなかったのかと、私は思いを巡らせたが、言葉が浮かんでこなかった。
目が覚めてからも、穏やかではなかった。どこかに忘れ物をしたまま歩いているような気分。
数日前、銀座のミッドタウン東京の1階で、現代アート展がやっていたので、仕事の帰りに寄ってみた。
抽象画や立体作品が飾られていて、無機質なビルの空間がお洒落に華やいでいた。知らない作家だったが、売約済みの作品もあった。
有名か無名か、上手いか下手か。そんなことよりも、需要があるかどうかが大事だ。当たり前のことだが、どんなに一生懸命作っても、空間で機能しなければ、展示する意味がない。
華やぎ、安らぎ、優しさ、驚き。生活のスパイスや潤いになるものを空間に添える。アートの役割って、そういうものだ。
制作していると、どうしても自分の世界観に集中してしまうのだけど、目立つことを考えるのも必要だ。そのことからずっと逃げてきたんだけど、気に留めてもらえなくては、作家も鑑賞者も、気づきを得る機会を失ってしまう。
誰もが皆、問題を解決するために、誰かと出会いたがっている。作家と画廊、コンペ主催者と応募者、売り手と買い手。インスピレーションがつながった時は、進化のチャンスなのだ。もっと貪欲にならないと。
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教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。
お宝鑑定団で初めて鴨居玲という画家を知った。ゴッホと同じ自画像作家として有名だが、幽霊のようなピエロのような自画像を見ていたら、目を背けていたものにまざまざ向き合わされたようだった。
大切なものは「その人」を語る。距離が近くて言いたいことを言い合い傷つけあった人たちにも、大事にしているもの、楽しみにしていることがあった。向き合った時の言葉や顔色だけでなく、周辺まで見ると、一個人が立体的に見えてくる。