デザフェスが2日後に迫ってきた。この日のために画集、詩集、壁画の構想など、色々と準備していたのだが、月曜あたりから喉が痛くなってきた。
コロナではないようだが、風邪薬を服用していたら体がだるくてだるくてしょうがない。喉の痛みは消えたが土曜までにこのだるさが消えてくれないとライブペイント集中できんな。。
言葉は現実を引き寄せる。だるい、疲れた、そんな言葉を吐くと、どんどんだるくなり、どんどん疲れてしまう。2年前の私だったらこんなことでは疲れなかったなと思いながら、2年後、5年後、10年後のシュミレーションをしてしまう。
眠いと言ったら、夫がリビングに布団を敷いてくれた。娘が学校から帰ってきて、のど飴をくれた。そして最近、詩集がwebショップで売れた。
「ありがたい」と思えるのは、今ここを頑張って生きようとする自分がいるからだ。今までもこれからも、その自分しかいない。
ここで動けること、支えてもらえることに感謝できる自分でいよう。そうして最後の瞬間まで完走するのだ。
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岡本太郎といえば、「芸術は爆発だ」の言葉で有名だ。鮮やかで毒々しい立体や平面作品が印象的だが、本当に人間の生命力とは何かを深く見つめている人だなと思った。
昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。