みなさん、おはようございます。
昨晩は咳が出て苦しかったけど、朝になったら治っていた。薬が効いてきてるのかな。
今日は、雨だ。学校へ行く娘にそれを言ったら「終わった」と言った。何が終わったのかわからないが、雨は歓迎されていないらしい。
私は雨の日は好きだが、明日の搬入時に降られると厄介だ。天気予報を確認したら、ちょうどその時は雨雲は去っていくというから、ほっとしている。
3年ぶりのアートイベントだ。国内では4年ぶりかな。
今までイベントをやるとなると、たくさんの友人が来てくれ再会や懇親を楽しんでいた。親や家族に展示の報告をして喜ばせることもモチベーションになっていた。
今回はそういうことをほとんど意識していない。自分の中で表現の対象が単純明快化され、多くの人が集まる場所でどれだけ発信できるか、どれだけ反応されるかということに、ある種の責任感、使命感を感じている。
誰のためでもなく自分のために輝くこと。それをやり続けることが、強い生命力を育てる。
表現者はアーティストだけではない。誰もがこの瞬間を、感じ、動き、コミュニケーションをして、進化できれば良いと思う。
そしてアーティストは、そういった空間を創造する仕事だ。
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岡本太郎といえば、「芸術は爆発だ」の言葉で有名だ。鮮やかで毒々しい立体や平面作品が印象的だが、本当に人間の生命力とは何かを深く見つめている人だなと思った。
昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。