昨日はデザインフェスタのリツイート祭りだった。ツィートとリツイートの違いもわからなかった私だが、娘に教わってやってみたら、私の投稿がリツイートされ、インプレッションが普段の200倍に跳ね上がった。
みんなで繋がりたい理由がやっとわかった。お互いにフォローして投稿を拡散して知ってもらう。出会って影響しあって、利益を交換するというシステムを呼吸のようにやっている時代なんだな、今は。
Twitterユーザーは、駅のホームやレストランや日常のいろんなところで、でその時の感情を呟く。
私は感情をそのまま出すのが好きじゃなかった。湧き上がった感情を一つ一つ、注意深く辿ってこそ深い欲求を知ることができるので、簡単に吐き出すのはもったいないと思っていた。そんなんだから私の呟きはよくわからないという人が多い
それだと、どうしても内向的になりがちなので、わかりやすく感情を吐き出すようにした方が周囲も親しみやすくなるのかな、とちょっと思った。
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。