一つの静物を油絵でデッサンするのと、PCでデッサンするのだと、油絵の方が強いかな、と思う。なぜかというと、線以外に、キャンバスの質感、筆の質感、絵の具の凹凸も同時に主張するから。
マチエルを作る時、デジタルだとテクスチャを使って何工程も重ねて作っても、プリントしたら滑らかな平面になってしまう。一方、アナログ絵画は支持体に置いた絵の具や筆跡がそのまま生きる。アナログってすごいなあと、ライブペインティングをやった時に思った。
キャンバスや画用紙に描いて、筆跡、絵具の質感、素材感を愉しむ人にとっては、デジタルアートは物足りないかもしれない。
デジタルで表現する面白さとは、一つの画面上に様々な技法を共存させられるところだ。細密に描く部分、テクスチャでコラージュする部分、写真を使う部分、一つの画面上にいくつもの異次元を同居させることで、多角的な視点を描くことができる。どのような視点で描かれたのか見る側に連想させるのも、謎解き絵のようで面白い。
現代社会では、オンラインとオフラインという異次元の日常が存在していて、その中で得た情報をもとに、私たちはいろいろな物事を多角的に見て判断している。とらえた日常も一分一秒ごとに変化していく。そんな刺激的で変化の早い現代社会を描くのに、デジタルはもってこいなのだ。
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。