今まで私が一番全力発信していたと思う時は、5〜6年前だ。当時女性像ばかり描いていたのは、女性ばかりのコミュニテイで消化できなかった思いを絵にぶつけていたから。でも正直、この時代の絵はあまり好きじゃない。
作品の根元にあるものが、悲しみとか痛みとか、ネガティブなものが多いから。この時代の絵が好きと言ってくれる方は女性が多いけど、ネガティブを増強してしまいそうで、なんか怖い。でも当時は、抱えきれない感情を分け合える誰かに会いたかった。
あれから月日が経ち、様々な経験もあり、画風が変わった。私は今の感性で、自分や社会を捉えて描いている。過去絵もなかなか力作でいいなと思うけど、今の作風を素晴らしいと言ってくれる人に会いたい。なぜって今の方がポジティブな気持ちで発信しているから。
黙っていると、自然と心が暗い方へ傾いていく。だから無理をしてでも顔を上げて、明るい光を必死で探して、全力で発信する。幸せを届けるつもりで。
私の絵を見た人に、「あなたの幸せが私にも届いたよ」と言ってもらえたら、こんなに嬉しいことはない。
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。