• スピリチュアル,  心理学,  生き方

    心のバリアの裏側にあるもの。

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    私たちは普段、心にバリア(防御)を張って、本当の思いとは逆の行動をとることがある。
    例えば、私が会社にいた時、こんなことがあった。みんなに親切に接する人がいて、その人は就業中に、他の従業員とよく楽しそうにおしゃべりをしていた。私もその人と楽しく話したかったのだけど、その人は多分、私とは話してくれないと思ったので、そばにいても気にならないような態度をとっていた。

    問題は、なぜ私が「その人は私と話してくれない」と思ってしまったのか、ということ。
    まず一つは、「その人と仲の良い人が私とは全く違うタイプの人だったので、私とは合わない」と勝手に決め付けてしまっていたこと。2つ目は、「私は会社では真面目に働かなくてはならない」と思っていたこと。
    無愛想な人だな、とか、近寄りがたいな、という印象を持たれていたかもしれないけど、これらの思い込みから、もう少し自由になっていたら、もっと楽しくやれていたかな、と、当時を振り返って思う。

    そして、よくあるのが、困っている人に助けを申し出た時に、語気を強めて「要らない!」と言われること。
    申し出た方は少し傷つく。助けたり助けられたりするのは、絆を深める第一歩だ。その一歩を強く拒否されたら、関係を深める手段を失ってしまう。大抵の場合は、この時に相手の気持ちをジャッジして進むのを諦めてしまう。
    私がこのような申し出をした理由をもう少し詳しく相手に話すと、相手はとても喜んで受け取ってくれた。この人は本当は、助けが欲しかったんだ、と思った。

    心のバリアの裏側にあるもの、それは過去に傷ついた経験だ。他人の愛や援助を受け取れない人は、過去にそれを求めて裏切られたり拒否された経験があり、もうあの時のような悲しい思いはしたくないから、心にバリアを張って、それを受け取らない選択をしてしまう。


    過去の傷から自由になるにはどうしたら良いのか。こだわりを捨てるとか、過去から解き放たれるとか、言葉でいうほど簡単なことではない。その人の時計の針が、その時にならないと、できないことだ。

    傷ついた経験を忘れ去ってしまうことが解決にはならない。傷をじっくり見つめて、これ以上できないほど自分を哀れむことで、自然に解き放たれる時が来るだろう、と思えるのは、私自身が今、その時を迎えつつあるからだ。

    若い時は、悲しいことや苦しいことがあると、とにかく誰かに言って、気持ちを受け止めてもらいたかった。でも、いつも受け止めてもらえるとは限らない。人との関係で、完全な共感や理解などないからだ。
    時が経ち、私が頼っていた人は去っていったり、弱くなったりして、必然的に自分で自分を支えるしかなくなった。そして今度は私が他人を支えなくてはいけない立場に立っている。
    一人ではできないことが人生にはたくさんある。過去の傷など抱えて心にバリアを張っていたら、これから出遭うハードルを超えていけないのだ。



    TOMOMI SATO
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    【Official Site】https://www.ts-artworks.com/
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  • 心理学,  生き方

    「人」を知るとは、「自分」を知ること。

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    子供の頃は、大人の男性が怖くて、近寄ってくると私はすぐに母の後ろに隠れた。大きな体で、力も強く、小さな私の体をひょいと持ち上げる。私はあまりにも無力な自分を悲しんで泣いた。大人の男性は、そんな私を見て無邪気に得意げに笑った。

    「人が怖い」という感覚は、常にあった。頼もしかった友達が乱暴になり、親切だった友達が意地悪になる。人は豹変する、ということを幼くして知っていた私は、容易に人に心を開かなかった。

    しかし、最近はオンラインやオフラインで、あ、この人素敵だな、と感じることができるようになった。他人のプラスのイメージに心を動かされるようになったのは、この年齢になって余裕が出てきたからだろうか。

    人間。それはいつも、魅惑的で危険な生物だった。向き合う時の、この緊張感はどこからくるのか。強く惹きつけられても、心がざらついてくる。未開の土地に身一つで入っていくような感覚。そんな時は、今向き合っている「対象」を、より深く知りたくなる。
    どのようなところで生まれ、どのような子供時代を送ったのか。表向きの顔の下に隠れた感情を知ると、初めて私とその人の間に絆ができる。

    「人」を知るとは、「自分」を知ることだ。そして、「惹かれる」ということは、私にないものや、失ったものを再確認するということだ。
    美しいものと向き合う時、感動と同時に負の感情が湧き起こる。持っていないものが欲しい(飢餓感)。失ったものを取り戻したい(喪失感)。自分にには届かない(無力感)。
    矛盾する感情に突き動かされた結果、それを手にして深く愛したり、飽きて他のものが欲しくなったり、失って悲しんだりして、多くの人は、他者との関係を堪能したり浪費したりしている。

    私は、無いものねだりにしかならないものを、いつまでも追いかけたいとは思わない。追いかけても私のものにならないなら、ないことに苦しむだけだからだ。私は、今あるものに大切にして、それを育てていきたい。

    「こんなふうになりたい」という夢や願望は昔からあったけど、人は、自分の意思とは無関係に使命を歩いているものではないかと思う。過去を振り返ってみても、私が積んできた経験や取り巻いてきた人間関係は、私が将来望むであろう幸せのための鍛錬であったように感じるからだ。

    美術をずっと続けてきたのは、根底に「人間を知りたい」という欲求があったから。私は多分ずっと、人を深く愛したかったんだと思う。一般に言われている「成功」や「幸福」のモデルは、マスコミが作った虚像でしかないことを、早い段階から感じていた。現実的に人と係らなくても、何かを深く見つめ表現し続けることで、目指しているものに辿り着けるような気がしていた。

    必要な出会いはいつも人生で用意されていた。その出会いによって自分の醜い部分を思い知らされ苦しんだのは、清く正しく生きることが本当の愛でも美でもなく、必ずしも幸福になり得ないことを、自分に知らしめるためだった。そういう経験があったからこそ、今私は、自分にとって本当に「心地よい場所」がわかるようになった。

    「成功」や「幸福」のモデルは一つでない。いつも思うが、時代のトレンドを目指してはいけない。なぜならそれは移ろいゆくものだから。本当に求めるものは自分の中にあり、それを外に表現していくことで、必要な人と繋がり、然るべき幸福をつかめるのだと思う。


    TOMOMI SATO
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