• 佐藤智美デッサン
    人生,  美大受験

    二人の指導者

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    予備校の受験対策で描いたデッサン。今見ると、迷いがある(笑)。出された課題に対して、ストライクゾーンがわかっていない。思いついたことを精一杯やっているといった感じ。

    私が入学した高校の美術科クラスでは早くから美大受験のガイダンスが行われた。美術教諭N先生は、実家が美大受験予備校を経営していたので、現役の高校生が美術大学に合格することの難しさと、現役で合格するための最低ラインを知っていた。とにかく基本をマスターすること。形と質感をしっかりと捉えること。私はそのラインを越えるために頑張った。しかし高校生の中で描いていても成長しないので、途中から美大受験予備校に通い出した。そして芸大出身の現役画家のO先生に出会う。

    O先生は基本に忠実な私の絵を快く思っていなかった。独特の感性で構図やフォルムを捉える生徒の作品を評価し、私の絵を「幼稚」と批評した。
    O先生は、美大入学後の多くの学生が方向を見失い、制作を続けられなくなることを知っていた。だから美術の入門時に美術的思考の間口を広く教えようとしていた。でもその間口は広すぎて、私にはなかなか理解できなかった。
    N先生は、「芸術なんて2〜3年勉強しただけで分かるものじゃない。生涯かけて理解していくものだ。多浪すると大学に入りにくくなるから、現役で入ってしまった方がいい」と私を説得した。
    私はどちらに従っていいのかわからず混乱した。結局O先生の指導にはついていけず、必然的にN先生の指導に従うことになり、現役で美大に合格した。

    入学後、私は表現に行き詰まって、自分探しのために美術とは関係ない勉強に勤しむことになった。
    一方、O先生に評価されていた人は、独特の感性をもって熱心に作品制作に取り組んでいても、大学受験に失敗し続け、意欲を失ってしまった人もいる。

    当時を振り返ると、いろんな思いがこみ上げてくる。
    二人の講師の指導は、二人の人生観、芸術観だったのではないだろうか。まだ真っ白な私に対して、全力でぶつかり導こうとしてくれた。N先生は、私に美術大学への門を開けてくれた。高校生の時には理解できなかったO先生の言葉も、今は芸術として作品を成長させるための道標になっている。だから私は、これまで意欲を失うことなく、創作を続けてこれたのだ。

    現在、N先生は美大受験予備校を経営し、毎年多数の合格者を輩出している。O先生は日本画壇の重鎮となり、今も熱心に制作発表を続けている。

    佐藤智美 構成デッサン 1988


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  • 人生,  美大受験

    夜の海

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    高校三年生は、私のアイデンティティが大きく変わった時代だった。当時、美術大学の受験生で、倍率は約10倍、しかも現役合格をコミットしていたから、プレッシャーは相当のものだった。

    先生たちは大学合格の実績を出すために懸命だった。生徒たちは、自分の将来と守るべき自尊心との葛藤で苦しんでいた。素直に真面目にやる子は評価され、そうでない子は批判される。学校では暗黙のうちに階級ができ、「優秀」というラベルを貼られた子も「落ちこぼれ」のラベルを貼られた子も心のどこかに欠落感を抱えたまま、戦い進んでいかなくてはならない。

    17歳の私の世界は、狭いものだった。だって、毎日といえば、絵を描くこと、勉強することだけだったから。美術科クラスの大半は勉強が嫌いだった。受験勉強の代わりに恋人との付き合いで悩んでいた。話そうにも、話が合わない。
    本当は知りたいことがたくさんあった。友達や男の子との触れ合い、それから他の国にいる人たちが、どんなことを考えて生きているのか。とにかく「人間」を知りたかった。しかし、それを知るための時間も、行動力も、環境もなかった。望む未来を作るには、今できることで、基礎を固めるしかなかった。

    環境は社会的圧力だ。性質の違う人に囲まれて道を歩むには相当の精神力がいる。私は時々疲れて、学校を休んだ。
    逗子海岸から歩いて5分の場所に家があり、疲れた夜は、犬を連れて海岸へ向かった。潮の匂いに包まれ、砂浜に出る。海岸道路沿いは飲食店の灯りで賑やかだ。暗黒の闇に目を向けると、打ち寄せる波の音が聞こえた。砂浜に犬を放すと、犬は力一杯走り出した。ガードレール下であまり美形でないカップルが抱き合っていた。私は海に目を向けた。遠くまで続く闇に、体が吸い込まれそうだった。私の中で疼く、まだ知らぬ力が、「このまま遠くまで流されてみようか」と誘っている。

    闇を見つめていると、星が見えてきた。紫色の空の下で大きな波がゆっくりと、押し寄せては引いていく。波のリズムに呼吸を合わせると、荒立っていた心が落ち着いていく。「今巻き込まれている戦いは、人生の中では、ほんの一瞬のことだ」そんな声が、聞こえてくるようだった。

    フィンセント・ヴァン・ゴッホ 「 星降る夜、アルル(ローヌ河の星月夜) 」1888-89

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  • アート生活,  人生

    自然の一部である「人間」。

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    第71回現展出品作。前の記事にも書いたけれど、これは「思春期」をテーマにした連作。人の心に一歩踏み込んで深く表現できた記念すべき作品。でもこれが実際、国立新美術館に飾られた時は、とてつもなく恥ずかしかった。

    審査員の先生に、「「愛」と「妬」はどちらが先ですか?」と聞かれ、「「妬」が先で、「愛」が後です」と答えた。私の中では「苦しみを知らなければ愛することができない」という考えがあったから。でも人によっては、この順序が逆な人もいるだろう。

    人物を描いていても、一貫して自然を描きたかった。自然の一部である人間。その象徴として「愛」を描きたいと思っていたけれど、決してきれいな絵にはならなかった。私の人間観は、思春期から進化していないのかもしれない。例えば、子供は、優しく、思いやりがあり、感情的で残酷である、ということ。でも残酷さが美しく見えたりするのは、いまだに癒えていない傷があるからだ。
    傷を持つ人間は切実で、ひたむきで、悲しい。そしていつまでも、孤独だ。なぜなら、よっぽど優しい人でない限り、誰も悲しみを分け与えられたいなんて思わないからだ。

    そういえば学生の時に、愛をテーマにしたとても明るい絵を描いていたら、母がいきなり入ってきて、「こんなの愛じゃない!あんたは何も知らない子供だ!」と詰られたことがある。それほどまでに母は愛において苦しんでいて、それを理解できない私は幼いのか、と落ち込んでしまった。

    でもこれは間違った思い込みだ。
    誰だって、悲しみよりも、喜びや安らぎ、楽しみを分け与えられたい。傷つけ合いが現実だと思うのは、その人の悲しみが深いからだ。そして悲しみの殻に籠もっているうちは、誰にも真心を届けることはできないのだ。

    佐藤智美 「愛」「妬」2015


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