東京都美術館で見た。
まだデッサンもろくにできなかった高校時代に、予備校の先生に「シーレの絵を参考にするように」とよく言われていたので、好き嫌いは関係なく頭の隅にいつもいる存在だった。でも、原画と対面するのは初めてだ。
20世紀初頭にウィーンで誕生した天才であること、クリムトの弟子であること、28歳の若さで亡くなったことは概ね知っていて、彼がどんなふうに芸術に向き合っていたかは、ここに書くまでもないのだけど、やっぱり原画の威力はすごいな。
若年期の執拗に身体性を誇張した人体画は、画家の意思で徹底的に精神を否定しているかのようだ。でもその執拗さが逆に飢餓感が際立っていて痛々しかった。
これらの絵が発する凄まじいエネルギーを目の当たりにした娘が、「疲れたから、ちょっと休まない?」と巡回の途中で休憩を取ったほどだ。
女性像も多く描いていた。恋人や母親。クリムトが描くような甘美で魅惑的なエロスではなく、どこか闘争的で激しい情念を秘めたような女。母親に抱かれた子供は驚いたような怯えたような、憂鬱な様子だ。それは不安や恐怖や痛みを抱えながらも拠り所のないシーレ自身だと思う。
回廊ごとにシーレの呟きのようなキャッチコピーが壁に記されていて、それが印象深かった。中でも、
「至高の感性は宗教と芸術である。
自然は目的である。
しかしそこには神が存在し、そして僕は神を強く、とても強く、もっとも強く感じる」
という言葉は、
シーレが人間として、自然(神)に近づこうと奮闘していたことが伺える。
人間の生は戦いであり、自然は癒しであり、目的である。
その感覚は、現代人の私たちにも通じるところがあった。
師匠クリムトの死後、シーレは画家として経済的にも成功し結婚もしたが、間も無くスペイン風邪で28年の生涯を終えることになる。
晩年の絵は、デッサンも卓越していて鑑賞し易くなったけど、地位も名誉も安定も手にしたシーレはどこか空虚感があったのかもしれない。
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