「面倒くさい」のハードルを超える。

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娘と池袋へ買い物に行き、支払いでLINE登録をすることになったが、よくわからないトラブルを繰り返していくうちに面倒臭くなってしまった。QRコードの読み込みができなかったり、もっといいアプリが出ていて、それを使うと早かったり、登録の5分間でどっと疲れが出た。店員さんの説明はこなれていて、娘はサクサクと進めていく。

デジタルは比較的強い方だと思っていたが、最近、ついていけない、と感じる。ネットの世界もさらに複雑になっていて、つい最近覚えた知識はもう古くなっている。
インターネットを見るのにも、以前より数倍神経を使っている。興味深いコンテンツには巧妙にビジネスの罠が仕掛けられていて、迂闊な行動が思わぬ損失に繋がらないとも限らない。

面倒くさい。
私はもう、だめかも。

そこまでして、人とつながって何かしたいと思わないのだ。


先日カウンセラーさんに、そのことを話したら、「人がどうのこうのというより、その仕事をやりたくないんじゃないですか?」と冷静な回答が返ってきた。

そうだな。それが私にとって興味深い仕事なら、面倒くさい人や登録作業だって乗り越えてしまうだろう。だがその「面倒くさい」のハードルを超えられるものになかなか出会えない。というより、私の「面白い」の沸点が上がってしまったのだと思う。

働けなくなる。稼げなくなる。社会でいらない人になり、隅に追いやられる…。想像したら、今までいた世界が、ぐらりと揺れて、反対側の世界に倒れ込む。見ないようにしていた心配。老い、病、孤独、死の不安。そこに引っ張られないように、前を向いていた…、違うな、思考停止させていた。あえてそこに向き合ってみると、では生きるために、自分が人様にできることは何なのか、ようやく目を向けることができた。

アートって、いまいち現実味がなかった。個展をやってもたくさん売れるわけでもないし、アートマーケットで活躍する作家も遠い気がした。アートを作ることで自分を深化させたり、人に考えさせたりすることはできたけど、今日では、それ自体が、どれほどの価値を持てるのか、確信が持てなかった。

というより今までの私は、誰に向けて作るより、自分の中のものを出していく方が大事だった。自己受容が必要だったから。深化の過程を楽しんでいたし、周囲も興味深く見守ってくれていたけど、いつの間にか、深化自体に興味も必要もなくなっていた。なぜって、これ以上の深化の果てに見えるものは「死」しかないと思ったから。

何のために絵を描いているのかしら、何をしたくてどんな人と会いたいのかしら。それを突き詰めると、アートもビジネス化してくる。それは人と人が化学反応を起こすから可能なものであって、自分の頭の中だけで考えていては、辿り着けない。世の中では何が起こっていて、どんなものが必要で、私はそこで何ができるのかしら、もう一度考えてみると、ようやくアーティストとして生きるということが現実味を帯びてきた。

これだけ社会が複雑化してくると、いろんな文化の人とのつながりが出てくる。こちらで当たり前のことが、あちらではそうも行かない、ということに遭遇するたびいちいち疲れていたら、リタイアするしかない。リタイアも簡単にはいかないであろう時代なので、うまく泳いでいかねば。
キーは、自己表現の仕方だ。時流に流されるまま、意にそぐわない発信はすべきでない。アーティストだから作品だけ作っていればいいというのではない。メッセージの文章や返信、SNSの書き込み、投稿写真など、オフラインで顔合わせすることが少ない社会では、オンラインでの行動ひとつひとつに、その人の個性、というか品格が現れる。自身の「品格」とは何かということを意識して行動したい。


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Tomomi Sato

東京在住のアーティスト。理解しがたいものを理解し受け入れるために書いています。自由でスピリチュアルな風の時代に、私の気づきがお役に立てればと思います。

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