新旧作合同の個展をやるにあたって作品を選定している。私は気に入っているが、あまりお声がかからず展示の機会がない作品があり、これを展示するか否かが問題だ。
何が不人気なのか、ちょっと周りの人に聞いてみたら「怖い」と言われた。そうだな、インスタに投稿したら違反通告が来て、削除を余儀なくされたこともあった。女性のヌードだったからね。特に男性には、要らない想像をさせたのだろう。
この絵を描いた当時は、「怖いもの」に挑戦していたようなところがあった。怖さの中に美しさを見出そうとしていたのだけど、それが私の中では成功していても、うまく届かなかった作品もあった。
見る側を気遣うのは展示する側の礼儀だし、今回は取り下げようか、と思った時に、私ってなんて丸くなっちゃったのか、と我ながら驚いた。
当時リスペクトしていたメキシコの女流画家、フリーダ・カーロを思い出す。
イタリアで行われた、フリーダカーロを因んだ企画展に出品するときに、参考として伝記を読んだのだった。
彼女も、「怖い作品」を多く描いている。出産とか、背骨が見える女とか。健康な人ではなかったので、いつも何かしらの痛みと戦っていたのだろう。でもその、直視された痛みには、怖さだけでない真実味を感じて、とても癒された。女性なら本来隠すであろうエゴも惜しまず描いて晒す彼女は、勇敢な人だったんだなあと思う。
絵画:フリーダ・カーロ 「ヘンリー・フォード病院」 (1932)
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。