来春に個展開催が決まった。ギャラリー は小さなスペースだけど、スッキリしていて作品が見せやすいのと、オーナーさんが私の絵に興味を持ってくれたから。それに対応がきちんとしていた。
慣れ親しんだ銀座から離れる不安はあるが、清澄白河という街も、下町の情緒と最新スタイルのカフェが建ち並ぶ新しさが共存していて興味深い。東京都現代美術館が近くにあり、現代アートファンが多くいそうだ。
他のギャラリーは、私の絵に興味を持ったかもしれないのだけど、なんだか自信なさげだった。
絵なんか売れない、変な作家は扱いたくない、続けて行けるか心配、お金がもったいない、というネガティブイメージは、言わなくても相手に伝わる。先日伺ったギャラリーはまさにそんな感じで、愚痴と人の噂が多かった。
私のことを推し測っているようにも見え、話を切り上げて帰ろうとすると、「どうか借りてください。決めてくれたらいろいろ検討する」と言われた。そんなの最初からそういう姿勢でいてくれないと、正直、信用できない。
別のギャラリーは最初から「うちとはカラーが違う」という感じだった。持っていった過去作の展示企画も、話しているうちにやる気がなくなってきて、予約は即答しないで帰った。帰り際に「空きはありますが、もし他でやるなら、それはそれでいいです」と言われた。本当にそういうことだろう。
とりあえず、と思って行ったところは、そんな返事だった。
今回予約したギャラリーも、とりあえず、といえばそういう感じなのだけど、きちんとしていそうだったので、もし失敗したとしてもリスクは少なそうだ。いろんな個性、主張を持ったギャラリーがあるが、今私が求めているのは「誠実さ」だ。
動かなければ始まらない。今度はノーアシスト、完全セルフプロモーションだ。そして今後は、低コストでやれる所で実践を重ねていく。
しかしずっと低コストというわけにはいかないだろう。近年のインフレの影響もあり、2025年度からレンタル料が値上がりするらしい。ギャラリーはギャラリーで厳しい経営状況でやっている。事情は作家と同じだ。
やっぱり利益を上げていかなくてはいけない。自己満足ではいけないのだ。
アートの土俵ではいろんな作家が現代を切り取って「こう思う」「こう感じる」を主張する。人間の思うことや考えることは、今までずっと繰り返されてきて、斬新さがないと伝わらない。20年前に小説学校でも教わったことだけど、アート全般に言えることだ。
「共通言語」という言葉をよく聞く。いろんな価値観の中、個人とコミュニテイが断絶された社会で、他者と自己をつなぐもの。「私はこう思う」を、「私たちがこう思う」にイメージを広げて、そこに映えるポジティブな「美」を再現することだろう。
著作者:Freepik
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教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。
お宝鑑定団で初めて鴨居玲という画家を知った。ゴッホと同じ自画像作家として有名だが、幽霊のようなピエロのような自画像を見ていたら、目を背けていたものにまざまざ向き合わされたようだった。
大切なものは「その人」を語る。距離が近くて言いたいことを言い合い傷つけあった人たちにも、大事にしているもの、楽しみにしていることがあった。向き合った時の言葉や顔色だけでなく、周辺まで見ると、一個人が立体的に見えてくる。