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未来を拓く「純粋性」。

岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を読んだ。
岡本太郎といえば、「芸術は爆発だ」の言葉で有名だ。鮮やかで毒々しい立体や平面作品が印象的だが、本当に人間の生命力とは何かを深く見つめている人だなと思った。


彼は「美しい」と「きれい」は完全に線引きしている。時代にマッチする、なんとなく心地よい「きれい」な作品には否定的だ。
「美しい」とは、人間の中に絶対的に住み着いている醜悪と対峙して這い上がるときに生まれるものであり、潔く引き受けて咲かせるような、覚悟とか愛情とか、そういうものが深い美を引き出すのだという。

多くの人は、醜悪なんて本当は見たくない、進んで見ようとする人なんかいない。芸術家の表面しか見ていない多くの人たちを気持ち良くさせるために作られたものには、真の美はない。岡本太郎は、そういった誘惑を一蹴して、人間性の回復を願い、生涯、戦いと創造を続けた人だった。

では回復すべき人間性って、なんなのだろうか。
それは突き詰めてみると、私たちの醜悪ってなんなのだろうか、というところに行き着く。

私たちを不快にさせるもの。逆の意味で言えば、私たちが他人を不快にするもの。それをせずにはいられず、それをしていると、世界が輝くもの。
私は安全な社会生活を送るために、いつもそういったものの矛盾に悩まされ、それらを受け入れようと努力しているように思う。それらのものと共存できた先の明るい未来を期待しながら。

岡本太郎が続けてきた戦いとは、社会が安定、安心と引き換えに奪い取っている、無条件の自己肯定感の救出ではないかと思う。


無目的、絶対性というキーワードがよく出てきた。それは私の言葉で置き換えれば、唯我独尊、行き当たりばったり、出たとこ勝負、わがまま、ということに思えた。

うまく行くとか、円く治るとか、そういうところととは対極のこと。悪いとわかっているけど、やめられない。逆風が吹いても抵抗せずにいられない。笑われたり馬鹿にされたからって、そう簡単にはやめられないこと。
岡本の言葉を借りれば、最も柔らかい純粋性を守っているのだという。

純粋性には、ここでこうして、こうなってやろう、という打算がない。失敗しても、不幸になっても、貫くことですべてが昇華されることを、潜在的に知っている。

私たちの純粋性は、日常をうまくやるために押さえ込んでいれば知ることはないが、そのように生きている人は多分、人生の充実や誠実とは遠いところにいるだろう。

世の中にはステレオタイプという道があり、それに素直に乗って生きている人も多いけど、私たちの純粋性が動くときは、日常からはみ出したところに道を作って行くようなところはある。

純粋性が動き出すとき、私たちは最も無邪気な子供になる。彼(彼女)の言うことは絶対で、望んだことがうまくいかないことで起きる葛藤やフラストレーションが、別の力を引き出して違う未来を作ってしまう。この瞬間はとても鮮やかで美しい。
どうしようもないようなことをどうにかしてしまうような力が私たちの中にはあり、それが不条理な日常にケリをつけてしまう。そういう力に出会えた時、私たちは心から感動する。

例えば恋愛だ。

岡本太郎の恋愛は、本当に「無目的」だ。パリでは気に入った女性と自然に住み始めて、自然に別れるような、行き当たりばったりの恋愛を何度もしている。最初の恋愛は相手の女性に振り回されたが、その後は別れ際にすったもんだするというようなことはなかった。彼はこれを「大人になった」と言っているんだけど、私から見れば、「大人の恋愛」ってどういうものなのか想像がつかない。

私は恋をするとき、自分と相手と、その周辺がとても明確になる。近づいていく過程は私自身の脱皮の過程で、付き合いが長くなると一本の映画ができるくらいだ。
愛すれば愛するほど、私は女王様になる。わかってもらえなかったら、銃口を向け蜂の巣にするかもしれない。なぜなら、ちゃんと繋がりたいからだ。それが叶わないと知ったら、受け入れてもらえるところを求めて飛び去っていくだろう。

本当にわかってほしい事をわかってもらえない人と一緒に笑い合うことなんてできない。だから、ふらっと好きになってふらっと別れるようなお洒落な芸当はできない。あまり認めたくないが、これが私の純粋性なのだろう。
私の乱暴にさせる人には滅多に出会えないけど、だからこそ乱暴さを引き出す人とは深い縁があると思っている。

恋多き人が恋をしているときに見ている風景を見てみたい。もしかしたら、呼吸のように恋をするのが習慣の人は、恋している時間など作品にしないのかもしれないけど。
恋愛は純粋性の躍動だ。だからしょっちゅう恋をしている人ほど、柔らかな純粋性を遊ばせている人なのかもしれない。


岡本の作品で恋愛をテーマにしたものはあまり印象がないが、彼にとっては、社会システムのへの反骨精神と闘いが創作の原動力だったのではないだろうか。常識の破壊することによって貫かれた純粋性が、絶対的なのだ。絶対的なものだけが真実を語り、心を成長させ、未来を作っていく。岡本は生涯を通して、それを伝えたかったのだろう。

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