- 2022年2月6日
私は今、「愛ある動機」を探している。
物事は光を当てる方向で見え方が変わる。具体化すればするほど、そのものが持つ深みを失っていく。自分が信じてきたことと違うことをやるためには、それ相当の「愛」が必要なのだ。
物事は光を当てる方向で見え方が変わる。具体化すればするほど、そのものが持つ深みを失っていく。自分が信じてきたことと違うことをやるためには、それ相当の「愛」が必要なのだ。
色々考えて、持てる力量全てを使って思いを作品に託す時代は必要だ。大事なことは、作品と自分自身をもう一度見つめ直し、何を残して何を捨てるのか選択をすること。この作業なくして洗練されない。
どんな風に生きていても体は老いていく。これは誰にとっても避けられない現実だ。ではなぜ、歳を重ねても生きていけるのかというと、体力があるときに行動して得た心の糧があるからだと思う。
”Cost”(経費)をかけるということは、必ず結果を出すことをコミットすることだ。中途半端なコストで適当にやっていたら、それなりの結果しか出せない。それこそ人生の浪費だ。
銀座で個展をやっていた時、爽やかでお手軽なデジタルアートは軽視された。「もっと重くないと価値がない」と評されて、私も知らぬ間に、自分の作品に重さを求めていた。そうする事で人の心の核心に届くような気がしていた。でも、重たいアートは見ていて疲れる。正直、私はもう、お腹いっぱいだ。
来年イタリアで販売するので、、近作を額装しました。これは昨年完成した小品。2022年1月〜12月までの1年間、近作6点が、イタリア、レッチェのPrimo Piano LivinGallery、その他オンラインギャラリーで販売されることになりました。
日本では「絵を描いています」「ブログで発信しています」というと、羨望の眼差しで見られることが多い。声にならない声を持っている人がたくさんいて、それを形にして、誰かに知ってもらいたいのだ。