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「誤ち」が、教えてくれたこと。

いつか食卓で、娘が小学生の時の私の子育ての話題になり、夫に「あの時のお前は、自分の子をすごい子にしようとしているみたいだった」と言われた。ちょっと、グサッと来たが、「だって学校がいろいろ言ってきたから」と返した。

「思い込み」が招いたもの


小学校は、私にとっても娘にとっても初の地域コミュニティだった。そこで行われていることに賛同できなくても、コミュニティに属するものとして従わなければいけないという思い込みが、結局娘を勉強嫌いし、娘は兼ねてから好きだった芸術方面の道へ進むことになった。

大人の敷いたレールではなく、自分で生きる道を選べたのだから、結果オーライだったと思うのだが、当時犯してしまった誤ちを思い返すと身を切られるような気になるのは、私の完璧主義のせいだろうか。
気をつけてはいたのだけど、ちゃんと周囲に認められる子にしたい、認められる親でありたいというエゴが、いろんな状況に揉まれて出てきてしまったことは、防ぎようがなかった。

そんな当時の私を、夫が支えてくれていたかというと、彼は彼で自分の会社の仕事に集中していて、私の話などろくすっぽ聞かなかったのだから、そんな批判はされたくないという気持ちは正直、今も私の心根にあるのだが、どんな夫婦にでも理解し合えない時期があるもの、これもお互いの成長過程だと認めることにした。

しかしそんな孤独な闘いの日々が、私の芸術や精神世界への探究心を深め、次々に傑作を生み出していったのだから、人生とはよくできているものだ。

「一人で立つ」という覚悟


今、夫は、ちゃんと稼いできてくれるし、忙しいながらも私の話も聞いてくれる。子育て(と言っても、もう高校生だが)にも協力してくれる。平和な日々を普通にありがたいと思えるようになったのは、人は間違いを犯すもの、という現実を認められるようになったからだ。

でも人間は基本、孤独なんだなあと思う。私が「こうして欲しい」と思う時に、いつでも相手がこちらを向いているわけではない。いつもぴったりとチャンネルが合うわけでもない。完全なる信頼というものはないのだ。だから、「こうして欲しい」と思った時には働きかけて、押したり引いたりして、反応を見て、受け入れる。人間関係は、そんなことの連続だ。それでも、その関係がオールインワンというわけにはいかない。だから私は、「一人で立つ」という覚悟ができた。

アーティストをやっていてよかったなあと思う。子育て中に生活や人間関係のプレッシャーに襲われ、誰の助けも得られなかった母親が、子供を殺したり夫や友を傷つけたりして人生の道を大きく踏み外してしまう事件をよく耳にするけど、私は作品制作で感情を解き放つことができたから、なんとか生き延びてこれた。一緒に困難を乗り越えてきた芸術は、私の朋友のようなものなのだ。

人間は弱い。この真実が分かっただけでも、私は幸運だ。
どんなに信念を持っていても、状況によって心は揺らぎ、社会の圧力や本能に飲まれてしまう。それくらい頼りない存在なんだから、無駄に強がるより弱さや愚かさを受け入れて、人間の真実を掴み取って生きていきたい。弱いからこそ、馬鹿だからこそ感じられる美しい瞬間を、全勢力をつぎ込んで表現し、世の中に発信し続けていく事は、とても意義のある事なんじゃないかなと思う。


About TOMOMI SATO〜人生開拓アーティスト佐藤智美 プロフィール

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言葉とアートで人生をブレイクスルーする フリーランス画家 佐藤智美

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