山田五郎さんのYoutubeチャンネル「オトナの教養講座」を見ていた。
これまで天才と言われてきた人って、ゴッホにしろ、シーレにしろ、「動物的」だ。すごさと脆さの両方を持って、自分も周りもエゴイスティックに振り回して、傑作を生み出していったみたいな。すごいね。
近代日本の画壇ってよく知らなかったのだけど、才能があってもトップと合わなかったために不遇だった画家って結構多い。田中一村、青木繁、藤田嗣治など。芸術家も人間関係の中でのサバイバルだね。
そんな境遇でも己の魂の現実と向き合って作品を作り続けた人は、後世にちゃんと名を残している。
常識はあって無いようなもの。人間の魂の現実は多様だ。誰もが自分の中にある、すごさと脆さにワクワクしたり、恐れ慄いたりして生きている。
言葉とアートで人生をブレイクスルーするフリーランス画家 佐藤智美」メルマガ登録はこちら
【TOMOMI SATOS ART WORKS】https://www.ts-artworks.com
【TOMOMI SATOS ART】https://artworks2017.thebase.in
【TOMOMI SATOS ART BLOG】https://tomomiart.toky
昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。