アトリエにこもって美術やっていると、どうしても視野が狭くなりがちで、あちこちと同業者のアカウントを見て回っている。
いろいろな経歴の方がいて、こういう視点もあったのか〜と勉強になるのだけど、唯一無二の存在になろうと単純なことを難しく考えたり、何が正しいかを追っている人は多いかなあ。
今、アートの概念もいろいろ出てきて、自分のポジショニングを明確にしないと生き残れない。良い絵を描けばいいってもんじゃない。芸術家=フリーランサーで、スタイルはそれぞれ、発表場所、発信の仕方、顧客層も違ってくる。一つ言えることは、自分の軸から外れたことをやったら長続きしないということだ。
余談だけど、最近私は街を歩く時、母でも女でもアーティストでもなく、「ただの人」として金魚みたいに歩いている。感性は解き放たれていて、物づくりには悪い状態ではないと思うけど、気をつけていないと思わぬところへ飛んで行きそうな不安感もあるかな。
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教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。
お宝鑑定団で初めて鴨居玲という画家を知った。ゴッホと同じ自画像作家として有名だが、幽霊のようなピエロのような自画像を見ていたら、目を背けていたものにまざまざ向き合わされたようだった。
大切なものは「その人」を語る。距離が近くて言いたいことを言い合い傷つけあった人たちにも、大事にしているもの、楽しみにしていることがあった。向き合った時の言葉や顔色だけでなく、周辺まで見ると、一個人が立体的に見えてくる。