海外のアーティストやギャラリーとのコラボレーションは新しい可能性を見つける良い機会だ。
デジタルアートを描き始めてから、自分を深く深く掘り下げてきた。内なる自分を見つめていくことで、自分の核にたどり着けると思っていた。BIRTHを描き上げたとき、そういった思いに一区切りがついた気がした。
仕事部屋が狭くキャンバスを置くスペースがないこともあったが、15年以上もデザイナーとして仕事をしてきた私は、油絵具よりもグラフィックソフトの方が遥かに表現の可能性を感じていた。
小説を書くことにも、大量にデザインの仕事をこなすことにも限界が見えてきたのが35歳だった。頑張れば頑張るほど本来の私から離れていく気がして、一度、頑張ってきたことから離れてみようと思った。
「縛られた人生はもう終わり。これからは、自分の力で自由に生きていく」そう決意した時、抑圧されていた創造力が一気に溢れてきた。
アトリエで描いていたら、教授に「陰気な絵を描く人は絵の全体から暗い雰囲気が漂っているが、あなたの絵は色が明るい」と言われた。要は「あなたの本質は陰気ではない」と言いたかったのだろう。
大学3年次に、抽象クラスと具象クラスに分かれた。私は具象クラスに入ったものの、アカデミックな写実表現から抜け出ようとしていた。
大学1、2年時は基本的な描画の授業が多くて退屈だった。私のデッサン力はとても誇れるものではなかったけれど、もっと心の奥深くから出てくるものを表現したかった。
大学受験の時はたくさんの木炭デッサンを描いたが、描くことを楽しめてはいなかった。
周りには独特の感性を持った子がたくさんいて、彼らの作品と並ぶと私の絵が凡庸に見えたものだった。そのことを先生に話すと、「素直なところがあなたの長所」と言われた。