娘の学校の文化祭で声優志望の子たちによる朗読劇「星の王子様」を観た。
家に単行本もあるし、小学校の頃に読書感想文を書いたので知っていたが、当時はいまいちよく分からない話だった。でも、朗読が上手かったからか、深く引き込まれてしまった。
砂漠に不時着した飛行士と、小さな星からきた王子様。飛行機の修理で忙しい飛行士に、「羊の絵を描いて」とお願いする王子様は、家で育てているバラとの関係に行き詰まっていた。
バラがどうして愛おしいのか、どうして扱いづらいのか、どうしてかけがえのないものなのかを、地球で出会う様々な人との対話で知っていく王子様に、飛行士がだんだん心を開いていく。
物語の終盤で王子様が去っていくときの飛行士の虚しさ、心臓もぎ取られるような寂しさが、なんか美しくて残酷だなあと思った。
大人はいつも、こんな残酷さから逃げている。傷つかないように知識で心を守って、何に向かっているか見えないまま、生き急ぐ。
本当に大切なものは目に見えない。自ら関わって、深く知ったからこそ、かけがえのないものになる。でも私たちは、目に見えるものに振り回され、それを忘れてしまう。
体が生きている世界と心が生きている世界は別々に存在していて、両方の世界で息をすることは難しい。だから人は、一度知恵を持った後、かつて見ていた不明瞭で優しい世界を懐かしく思うのだ。
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ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。
お宝鑑定団で初めて鴨居玲という画家を知った。ゴッホと同じ自画像作家として有名だが、幽霊のようなピエロのような自画像を見ていたら、目を背けていたものにまざまざ向き合わされたようだった。