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令和の「アイドル」。

ひさしぶりにカラオケに行った。YOASOBIの「アイドル」が歌いたかったのだけど、実際歌ってみると、リズムがとりにくくて難しい。メロディに乗った歌詞を歌うとまるで早口言葉だ。
いつもよく歌っているZARDとかBUMPとかにしてみると、声がちゃんと曲に乗って歌いやすかった。しかし、なんかな、歌と日常が合っていないのか、心が乗らなかった。
数回、YOASOBIの「アイドル」を練習したが、ほんとに歌詞が早口言葉でリズムにうまく乗れない。

最近の流行の曲はボカロで制作されているのかな。メロディラインも歌詞も文学的で複雑な心境を歌ったものが多い。私たちが学生だった昭和時代に流行った曲は、感情をストレートに歌ったものが主流だったけど、ネット世代の感覚はちょっと違うのかな。

とはいえ、今のアニソンは、大人が聴いても引き込まれる。「アイドル」がなぜ良いのかというと、生き急ぐような疾走感のある曲調に、現代っ子の心の闇がちゃんと描けていて、リアリティを感じるのだ。

シンクロするアイの生き様


「アイドル」は「推しの子」のOPだ。アイのキャラクターが心に心に響いてくる。
完璧なアイドルを演じ続けるアイは、養護施設で育ち、本当は愛したことも愛されたこともない。「愛している」と気持ちがどういうものかわからない。でも自分がアイドルとして重ねてきた「愛してる」という嘘をいつか本当にしたいと思っていて、多くの人を愛そうとしている。その不可能に近い夢と、涙ぐましい努力がアイの深い飢餓感を思わせて、胸がつまされる。

SNSのタイムラインに流れてくる美少年美少女の投稿は目を引くけれど、危険な誘惑めいていて、私はスキップする。愛してほしいという欲求は真夜中に煌々と光る外灯みたいで、退屈している人たちを寄せつける。外灯に近寄ってきた蛾が電灯に飛び込んだら、羽根が焼け焦げて飛べなくなるのだが、蛾はダイブする瞬間だけを夢見ていて、そのあとのことはどうでもいいのだ。おそらく外灯も、よってくる蛾の数で価値のある自分を実感したいのだろう。
それくらい、夢を買う方も売る方も孤独なのだ。

昭和、平成の流行歌を歌っていると、幸せだったなと思う。「あなた」と「私」でしっかり向き合って感情をストレートにぶつけられた。それを受け取ったり受け止めたりする土台と余裕が、人にも社会にもあった。窮屈ではあったけど、守られてもいたから甘えられた。

流動する時代に必要なもの


今の時代、何が正しいのかは流動的で、皆がそれぞれ自分にとって確かなものを探しながら歩いている。愛、夢、金、仕事。一瞬一瞬、挑戦と失望の繰り返しだ。それでも生き抜いていくには、自分の中の、決して絶えることのないエネルギーを掘りこさなくてはならない。アイにとっては、その源が「愛」だと思っていたのだろうし、だから愛へ向かって走るアイは、外灯に向かって飛んでいく蛾のような勇敢さ、外灯のような磁力を持って輝いている。

今まであったルールとか習慣とかは、誰かが壊せばなくなるものだ。いつかはなくなるものに囲まれて私たちは生きている。それらのものが自分の一部のように錯覚している。幸せな感覚だ。

でも、確かな絆は感じにくい。寄るべきものがないから誰もが探して動いている。昨日までそこにいた人は、明日にはいなくなっているかもしれない。だから一瞬でも、誰かがいる、何かを持っていると感じる瞬間はとても貴重なのだ。不明瞭だった意識に、一瞬でも輪郭を与えたものは、今後の人生の強い指針にもなり得る。

暗く広い宇宙で、圧倒的に輝き続ける恒星になる。それが今を生きる人たちに共通する指針なのではないだろうか。お互いに放った光で照らし合うような、そんな社会を作りたい。そのためには、危険を覚悟に外灯に向かっていく蛾のような勇敢さが必要なのかなと少し思っている。




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