私が通っていた予備校は、他の美大受験予備校と違って、志望校に合わせた指導はしていなかった。主任の講師が芸大出身で活躍している画家であったこともあり、合格する絵よりも、合格後に制作を続けられる絵をめざしていた。
人物デッサンを学ぶ時に、エゴン・シーレの作品がよくとりあげられていたが、シーレの人物像は、骨筋皮が強調されていて、私にはグロテスクに思えた。当時、基本のデッサンもできていなかった私には、普通に人として見える絵の方がよかった。
シーレが、なぜこのような表現になったのか。理解できるようになったのは、それから30年も後のことだ。
シーレが描こうとした肉体的感覚。痛烈な感情や欲望の表現を突き詰めて、このような人体表現にたどり着いたことは、彼の持っていた感情を私も体験したから、分かるようになった。
高校生当時、シーレと似たような感覚を持っていた人がいた。一つ歳上の先輩で、美術大学に受け入れられやすい写実表現ではなかったが、独特な筆遣いや色彩感覚を持っていた。予備校の先生たちは彼女の作風をとても気に入っていて、私はますます高校の先生のいう「合格する絵」と予備校の先生が目指す「芸術として良い絵」の違いで混乱した。
自分の感覚って何なのか。一度基礎を学んでしまうと、そこから遠く離れてしまう気がする。画家がクロッキーやデッサンを鍛錬するのは、感情や感覚を的確に表現する線を探すためだ。この目的が分かっていないと、基礎的な技術から抜け出て自分のスタイルを確立するときに、方向がわからず、迷走してしまう。
エゴン・シーレ《自画像》1911
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